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東京高等裁判所 昭和34年(う)2279号 判決

被告人 臼田富士雄 外二名

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

事実誤認の論旨について。

所論は本件について暴行の事実それ自体も全くないと主張するけれども、原判決挙示の証拠によれば原判示事実を認めることができるものといわざるを得ない。もとより本件が労働争議に付随して起つた事件であることは、記録上これをうかがうに足るけれども、問題となつた暴力行為それ自体の有無は、あくまで純粋な刑事事件として観察処理さるべきものであることはいうまでもなく、所論のように原審が右に反しことさら偏見をもつて会社側に加担し労働者敵視の態度をもつて事案の審判に当つたとはとうてい認められない。そして本件において所論の会社側証人と組合員側証人との間に重要な点について供述のくいちがいが存することは事実であるが、このくいちがいは、むしろ被害者側証人と加害者側証人との間におけるそれと観るのが相当であつて、かように被害者側と加害者側とがそれぞれ利害を異にする立場から相反する証言を示すことは実務上しばしば経験するところであり、かつまたこの種労働争議に付随して本件のような暴力行為が発生する事例の少くないことも、いわば公知の事実に属するものであるから、これらの諸点を考え、記録にあらわれた被害者その他の証人の供述の内容を仔細に検討するとき、原審がきわめて多くの証拠調を重ね直接審理を行うことによつてみずから形成した自由心証にしたがつて証拠の取捨選択を施した結果原判示に挙示する証拠により原判示事実を認定したことについて、記録による判断を原則とする控訴審の立場として、原判決が証拠の価値判断を誤り事実誤認を犯したとはたやすく断じがたい。

結局所論は独自の見解に立つて本件の証拠を評価し、または判決に影響を及ぼさない瑣末な瑕疵ないし無関係の事項をとらえて原判決の事実認定を攻撃するもので、その理由がないといわなければならない。

法令適用の誤の論旨について

所論は、原判決は暴力行為等処罰に関する法律第一条の解釈を誤り、憲法二一条二八条に違反して右暴力行為等処罰に関する法律第一条を適用した誤があると言い、右法条にいわゆる「多衆の威力」とは、暴行罪等の違法性を強めるに足る違法な威力でなければならない、労働争議についてこれを考えて見るならば、正当の争議行為の範囲をこえて暴行脅迫をしかねまじい行動をした多衆の威力が背景になければ同条を適用するわけにはゆかないのである、しかるに本件において「威力」とは原判示第一の場合は「労働歌を高唱してプラカードを先頭にし事務室内に進入した約三十名の組合員の威力」であり、また原判示第二の場合は「車庫内に集つた十数名の組合員の威力」であつて、右はいわゆる「集団による示威」であり、デモ行進と全く同様であり、正当な争議行為であるから、それは憲法二一条に保障する表現の自由、憲法二八条に保障する団体行動権の範囲内のことであるから、これをもつて違法な威力ということはできない、と主張する。しかし、所論の「組合員の集団による示威」それ自体は、たとえ本来正当な争議行為をなす目的に出たとしても、その一部の組合員が右爾余の組合員の気勢を背景としこれを利用することによつて相手方に畏怖を感ぜしめるとともにその自体に不法の攻撃を加えるときは前記法条にいわゆる多衆の威力を示して他人に暴行を加えた場合に該当するものといわなければならない。原判示によれば被告人らの本件行為がまさにかような場合にあたることは明らかであるから、これに対し暴力行為等処罰に関する法律第一条を適用した原判決は正当であつて、原判決には憲法違反その他所論のような違法は認められない。

よつて刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 兼平慶之助 足立進 関谷六郎)

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